ポから始まるイタリア人

車いすマンと高学歴マンの相対性ラジオ

①「大人って何?」を車いすマンと高学歴マンで考えてみた!?

 はじめまして!「ポから始まるイタリア人」というポッドキャストをしている片割れの吉川です。相方は山本と言います。僕らのブログにお越しくださりありがとうございます。

 まず初めに、簡単な自己紹介を

 

吉川:高学歴、大学生、社長志望、18歳

山本:大手企業社員、車いす、起業したい、18歳

 

こんな二人で、まったりラジオしております。お時間に余裕がありましたら、ぜひぜひ訪れてみてください。

ラジオでは、お題の出し手と受け手に分かれ、まず受け手が即興でそのお題について語り、その後出し手のほうがちゃんと準備した内容を語る、というものをやってます。(僕らはそれを、準備vs即興、と呼んでいます)

 

 僕らにとって記念すべき一個目のお題は、僕、吉川が出させていただきました

「大人って何?」

 

 まずは、即興でしゃべった山本を念入りに調べた吉川が完膚なきまでに叩きのめす所から。

 

吉川「大人って何だと思う?」

山本「えーっとね大人とは............子供じゃない状態かな」

吉川「ほう、子供じゃない状態......じゃあ子供ってなんなん?」

 

(すごい余談ですけども、子供と子どもの違いをご存じでしょうか?大昔は、万葉集とかの時代から江戸時代くらいまでは、子供と書くのが一般的だったんです。そもそも、子供は熟語です。けれど、近年になって、「供」という字が「お供えする」などに使うため、こどもは大人の付属品じゃない、という声が上がって、子どもと表記することが増えたそうです。新聞ではどちらも使われてますし、学者間では子供派vs子ども派で論争があったりなかったりするそうです。ちなみに僕はスペースキーは一回しか押さない予定ですので、どっちが出てきても、まぁいいやという気持ちです。ではでは閑話休題

 

山本「子供っていうのは、知らないことがめっちゃある状態のこと」

吉川「ほう」

山本「もう、一日に知らないことが10個とかある。で、それ全部に感動する」

吉川「へー、じゃあ研究者は子供になるん?」

山本「う」

吉川「東大や京大にいるおじさんおばさん教授は、日々知らないことに囲まれてるぞ」

山本「......いまのところカットします。ちょっと仕切りなおさせて」

 

 吉川の完全論破が山本に炸裂しました。ラジオの編集は山本に任せてますのでラジオではカットされてるかもしれませんが、ブログは吉川の城なので山本の痴態は必ずさらします。

 さぁ、即興山本、巻き返せるか?!第二ラウンド始まります。

 

山本「大人って存在しないんだよ」

吉川「はーどういう意味?」

山本「大人になってもさ、何かしらでワクワクするじゃん。ドライブ行ったりしたらさ」

吉川「ワクワクするのは子供っていうこと?」

山本「そうそう、だって子供のころとか、例えばクリスマスの夜とか、ワクワクで眠れなかったじゃん?」

吉川「いや、俺はどっちかっていうと、サンタさんのために早寝してたけど」

山本「やかましいわw」

 

 どうやら、山本の第二ラウンドは大人とは存在しないという荒々しい理論でしたので、「じゃあ、大人っていう言葉には概念がなくなっちゃうから議論の必要が無くなるじゃん?」と、吉川が命題ぶっ壊しについて、言及すると

 

山本「経済的な観点に基づいて、お金を動かす人を意味する便宜的な言葉」

 

という、パワーワードが編み出され、第三ラウンドが開幕したんですけども、さすがの山本も即興の限界にここで到達してしまい、その後はぐだりました。残念。

 

吉川「じゃあニートは、子ども?」「20歳から大人になれるんじゃなくて、20歳から大人にならなきゃいけないってこと?だったら、大人っていうのは完全に経済的に依存したものなの?」

山本「......」

 

吉川「こっから全部俺の時間!!!!!」

 

 ここで攻守交替!!ここからは、準備してきた吉川の時間です。

吉川「大人とは何かってことを調べてみて、びっくりしたんだけど、大人になる時期っていうのが、時代や地域によって違うわけよ。現代の日本では、18歳が成人になったじゃん。俺らももう成人じゃん。だけど、一昔前なら、成人が20歳だから俺らは未成年になるわけじゃん(吉川と山本は弱冠18です)。だけど、戦国時代とかは成人は12歳くらいなのよ。海外では成人が16歳の所もあるんだけど」

 

(すごい余談なんですけど、弱冠ってもともと20歳という意味なんですよね。中国では昔、弱という漢字に20という意味があったんですね。じゃあ、18歳は弱冠じゃないじゃん、と思う人もいるかもしれませんが、安心してください。中国の古文書では、男女に関係なく10歳頃から30歳くらいまでを弱冠と表してたりします。だから、胸を張って言いましょう。「僕は弱冠18歳!!」。ではでは閑話休題

 

吉川「その次に、大人っていうのが絶対的なものか、相対的なものかっていうのを考えたの」

山本「相対的?」

吉川「つまり、比較できるものか、比較できないものかっていうのを考えたら、大人って比較できると思うわけよ」

山本「あーはいはい。だから、吉川は大人、じゃなくて、吉川は誰々より大人、みたいなこと?」

吉川「そういうこと。わかりやすく言うならね、『吉川の身長が高い』っていう文は意味をなさないよね」

山本「どういうこと?」

吉川「『吉川の身長が高い』という文には比較の対象がないからだよ」

山本「なっるほど!」

 

 『吉川の身長が高い』という文を正しく書くならば、『吉川の身長は ”山本より” 高い』とか、『吉川の身長は ”日本人の平均より” 高い』と、いう文になります。もちろん、日常会話では当然省略しますが、脳内でこのような変換を無意識に行っているはずです。

 

(*ちなみに、理科や国語の記述ではこれらの比較対象を省略すると減点となることがあるので、受験生の方は気を付けてくださいね!)

 

山本「つまり、誰々より大人、逆に誰々より子供っていう使い方をするわけね。じゃあそもそも、大人っていう言葉の意味は何なのさ?」

吉川「それはね、一言でいうならば......]

 

 

吉川「コミュニティを維持する責任を負う度合いの大きさ

 

 だから、中学生と小学生のグループだったら、中学生がそのグループをまとめて守らないといけないから、中学生は小学生より大人ってなるわけだ。同様に、高3の先輩は高2の後輩よりも大人だし、社会人は大学生より大人だし、親は子より大人になるわけだ。そして、その対義語が子供になるわけだ。

 

吉川「要するに大人である人たちは、子どもである人たちのためにも、社会を維持していかなければならない。だから、大人の人たちは、働くとか、ご飯を作るとか、ごみを捨てるとか、子どもを産むとか(これは女性にしかできないけれど)、子どもを教育するとかをしなくちゃならないんだよ」

山本「なるほどねー」

 

 

山本「じゃあ、働いていないニートの人たちは大人じゃないの?子供を産んでいない人は大人じゃないの?」

 ここで、山本の反撃。しかし、それも吉川の想定内。

 

吉川「そこがミソなんだ。さっきね、働くことや出産をゴミ捨てと並列に語ったでしょ。そこで、質問なんだけど、ごみ捨てを全部やってる人を見たことある?」

山本「え?ごみ捨てでしょ。そんなんうちの母親だって......」

吉川「え!?お前の母ちゃん、ごみ燃やしたり、埋め立てしたりしてんの?」

山本「あっそういうこと!」

吉川「俺も最近一人暮らしを初めて、ごみを捨てるんだけど。俺がやってるのって、ごみを袋に集めて結んでネットにかぶせて路上に置くだけなんだよ。ごみ捨てを全部やってる人なんかまずいない」

山本「ほんとだ。それ関連でいうと、種から料理してる人も見たことないな。てか、フライパンを作ったことある料理家なんているのかなw」

 

 つまり!何から何まで自給自足で生活してる人間以外は、「出産って大人の女性の義務でしょ~」なんて言葉言っちゃダメ!!!!っつーことだ!!!姑にそういうこと言われたら、「フライパン作りも大人の義務だろバーカ」って言ってやれい!

 おおっと、心の声が少々漏れててすみません。

 

吉川「だからね、わかりやすく言うなら、大人とは ”誰かがやらなきゃいけないことをやっている人” なんだよ。家族の中で誰かはゴミ出しをしなきゃいけない。京都府の中では誰かが吉川の捨てたごみ袋を回収しなきゃいけない。日本の中では誰かが次のFIFAワールドカップでドイツ・スペインと対戦しなきゃいけないし、世界の女性の中で誰かが子供を産まなきゃいけない。そうしなくちゃ、社会を維持できないんだよ」

 

山本「なるほど。じゃあ、誰しも大人であり子どもであるっていうこと?」

吉川「そうそう場所や時や状況によってね。だって初めに言ったやんか、戦国時代は12歳から大人って。これは何でかっていうと、戦国時代って平均寿命が30歳とかなんよ。そうしたら12歳以上は大人として頑張ってもらわないと社会を維持できないでしょう」

 

 

 

 とまぁ、こんな感じの議論になりました。うーん、今回は準備のほうがすこしイケてる気がしますね。あ、もちろん、僕らは楽しく話してただけですし、この議論も20分くらいのものなので自信なんて全然ありません。違うなーって思ったらぜひぜひコメントください。そもそも僕らは弱冠の18歳の童貞二人ですから、社会経験なんて全然ないですもん。

 

ちなみに、全然関係ないですが、

 叶恭子さんの名言”大人とは自分の中の子供に正面から向き合えることです”

 これ、いいですよね。

 いろいろな解釈ができます。自分の中の子供とは何でしょう?

 自分の中の子供らしさ?、自分が守られていること?、自分の幼いころの思い出?

 ここで吉川的な言葉に置き換えると、

「大人とは、自分が大人と子供を行き来することを受け入れること」って感じですかね?

 

 

 では、読んでくれてありがとうございました。